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2008-05-31 Sat 22:09
この間求人募集の広告を見ていたら、
味のある人歓迎。 という募集広告があった。“味のある人”を歓迎するとは、ずいぶんと粋な会社なのか、仕事なのか?でも、そもそも、どんなのだったら、味のあることになるのかと思って、良く見てみると。こんな風になっていた。 つまり、 。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。 だった。 ずいぶんと、期待したのに、 ざんねん。 |
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2008-05-29 Thu 23:49
問題の解決をしようとするときには、正しい手順を行うだけではなくて、正しい姿勢で望むことが大切になる。
簡単に言えば、結果から原因を推測するときの、考え方、心得といったものであるけれども、これを軽視すると、トラブルシュートの手順は正しくても、いつまでたっても原因を追い込めない、不可解なトラブルに泣かされることになる。 実世界での問題と原因の関係は、コントロールされた環境のシミュレーションとはちがって少々複雑だ。ここでは、そんなときにも役立つ心得を、3つだけ取り上げてみる。 1. 問題は、一つの原因で起きたとは限らない。 問題の発生原因が一つであるならば、原因の究明は比較的容易だろう。あれがこうなれば、こうなって、そうなる的に問題を追い込んでゆくことが出来る。 しかし実際の問題の場合には、2つ以上の原因が同時に発生して、問題を起こしている場合が非常に多い。なので、こうは簡単にいかないものだ。トラブルシュートのチャートや、用意されているヘルプファイルが役に立たない理由もここにある。 また、原因は一つと思い込みは、強く推理の邪魔をする。一度そうなってしまうと、答えが目の前に置かれていても目に入らなくなってしまう。 教訓: 原因となるトラブルは2つ以上が同時に発生している、と考えよ。 2.見つけた原因が本当の原因とは限らない。 原因と思しきものを発見しても、それは根本原因ではなくて、単に2次的な原因なのかもしれない。 つまり、なにか根本となる原因が別にあって、それが、別のトラブルを引き起こした。その別のトラブルによって、初めて問題が顕在化したということも考えられる。あなたが見つけた“原因”は、残念ながら2番目の方かもしれない。 例をあげるならば、夜、部屋が突然真っ暗になってしまったとする。そして原因を探ったらば、部屋のブレーカーが落ちているのを見つけた。 これは分ると思うけれども、ブレーカーが落ちたのが原因ではない。この場合、停電はブレーカーが落ちたからではなくて、電子レンジと乾燥機とエアコンを同時に使ったというのが根本原因だ。ブレーカーが落ちたのはその結果になる。 教訓: 見つけた原因は、本当の原因か、を疑え。 3.問題の答えは、単純だとは限らない。 シミュレーションや、ケーススタディなどコントロールされた環境での問題に慣れてしまうと、問題の答えはいつも単純であると思い込んでしまうことがある。また物理や数学の世界に影響を受けて、真理に近いほど答えは単純であるとの思いを持つこともあるかもしれない。 しかし、現実世界では、正解は必ずしも単純であるとは限らず、極めて複雑であったり、場合によっては複雑すぎて回答が無いに等しい場合もある。 また、思いも依らないような偶然の重なり合いや、まさにありえない状況が実際に起こるというのも、世の中の常だ。 つまりは、我々のカオスの世の中では、どんなに調査しても、原因が分らない、再現も出来ないといったこともあるということだ。 教訓: 世の中は、思いも依らないような偶然が起こるものである、と心構えよ。 検討を祈る。 |
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2008-05-27 Tue 22:38
ハイリスク、ハイリターンというのは、リターンが大きく見込めるものは、リスクも高いという意味であるけれども、この、儲けの大きい仕事は、リスクも高いというのは、一般にも普通に受け入れられている見識となっていると思う。
では、逆に、リスクが高い仕事は、必ずリターンも大きいだろうか? これは多くの場合ノーだ。 リスクが高いことは、リターンが大きいことを保証しない。大抵の場合はリスクも高くて、リターンも少ない。これが世の中の普通のケースであると思う。 リスクは高いが、それに見合ってリターンも大きいというのは、この中のむしろ特殊なケースと言っても良いかもしれない。 ここでは、AであればBは成り立っても、BであるからAであるは成り立たない。 ちょうど中島 聡さんがご自身のブログ、Life is beautifulで、タイミングよく、おもしろい例となる記事を書かれていたので、引用させていただく。
食べ物で言えば、非常に高い金を出したからといって、出てくるものが値段に見合った絶品であるとは限らないし、その保証はない。しかし逆に非常に美味いものが、高価であることはまず間違いない。 また、値段に見合っていなくても、クレームになったり、店の評判が急に落ちることがないのは、顧客の“高い金を出したのだから、うまいに決まっているはずだ”という、つまりは、ハイリスクなのだからハイリターンに間違いないだろうという心理が働くからだ。 そして、この心理を詐欺師が利用する。 これは割と単純な、冷静に考えれば誰もがおかしいと思うような詐欺に、人がコロッと引っかかってしまう原因の一つだ。ハイリスク、ハイリターンの意味を取り違えて、“危険性が高いのだから、儲かるはず”という、逆の論理スパイラルに陥ってしまう。一度はまってしまうと詐欺師も楽なもので、“この投資のリスクは大きいので、非常に儲けも多いのです”、“私と一緒だったら平気ですから”といった言葉でコロリとだませてしまう。 おかしいかな?とうすうす思い始めた後も、自らを正当化する心理が働いて、“これだけリスクを取っているのだから、儲かるに違いない”と思い込んだり、“世の中にうまい話は無いというけれど、これは大丈夫。リスクが高いのは、高い利益に見合っているから正統だ”と、勝手な理屈でますますのめり込んでしまう。ポジティブフィードバックが掛かってしまうのだ。 私は、詐欺を働こうというのではないけれども、マーケティング的にはこの心理も利用しなければならないと思っている。 世の中には、ただ“高いから買う”、“高くないと買わない”という“ハイリスク、ハイリターン”の信望者が存在する。結局、分からないから、値段で買う、高いから発注するということがあるのだ。 中島 聡さん曰く、“ITゼネコンになんのためらいもなく数億円の発注をする社会保険庁が、味も分からないのに高級店で散在をする成金に見えて来る。”である。 マーケティング手法としてはあっても、WEB2.0的には、志とは違うところがあって複雑だけれども。 |
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2008-05-26 Mon 22:08
拝啓、青葉に風薫るころとなりました。
皆様におかれましては、お変わりなくお過ごしのことと、心よりお慶び申し上げます。 この度は、突然ではありますが、このブログのテンプレートを変更してみました。昨日までは、夜明け前の町並みをモチーフとした“Mimei”を使用しておりましたけれども、昨夜この“Air-mail”に変えております。 このテンプレートについては、先日たまたま共有テンプレートをブラウズしていた際に目に入り、一目で気に入ってしまったものです。非常に読みやすいスタイルであって、テンプレートのプレビューを見たときにも、思わず自分の記事を改めて読み直してしまったほどありました。 昨日までの“Mimei”も、もとよりとても気に入っており、細かなカスタマイズも加えたこともあって特に不満は無い状況でありました。しかしながら、読みやすさと、シンプルなエレガントさということでは、やはりこちらの“Air-mail”の方が勝るのではないかと思っております。 このテンプレートを作られたatsumuさんは、この方のWEBをご覧頂ければ分かるとおり、この他にもとてもセンスの良いテンプレートを数多く発表されている方です。また、ブログの方をご覧になれば、atsumuさんが使用者からの面倒な質問にも一つ一つ丁寧に回答を返し、サポートも欠かさないという、人間的にも大変によい方だということが分かると思います。私もこの場で改めて御礼を申し上げます。 使用規約にはカスタマイズも可とありましたので、表記上の細かな点について幾つか変更をしております。また、Googleのウエブマスターツールでサイトのメタデータに関する指摘を受けぬように、meta name="description"の扱い方法を変え、はてなとYahooブックマーク登録のリンクなども加えてみました。しばらくは、このテンプレートを使ってまいります。 本日は、Air-mail変更の日ということもあって、手紙にて。 それでは皆様、季節の変わりめゆえ、なにとぞご自愛ください。 敬具 瀬戸 伶 |
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2008-05-25 Sun 19:33
議論や会議などは目的があって行われる。目的なく行うものは、これも悪いことでは無いけれども、雑談であったり、情報交換の場とされて、議論や会議とはちょっと違ったものとなる。他にも様々な目的をもった、様々の形の話し合いや寄り合いといったものが有ると思う。
以前はネット上の掲示板、フォーラムなどでは、モデレーター制といいうものを取っている場合があった。管理人や議長といった役割を担った、モデレータという人が議論や投稿を仕切ってゆく進行方式だ。管理の度合いは様々であるけれど、スパム等の削除をするだけでなく、白熱化したやり取りを冷静にさせ、議題を整理して、ブレが出て来たときは方向修正をしたり、別の会議に分岐させたりといったことをしていた。 しかし、そういったモデレーターを置かない、完全にフリーエントリーのものも多かったし、メンバーについても、ハンドルを使うものから、以前のmixiなどのように実名を原則とするものもあった。 目的を持った議論や会議を望む人には、そのための場があり、他にもその目的と話し合われる内容に応じて、管理や運営ルールが違うさまざまなものが存在していたということだ。 つまりは、棲み分けがなされていたことになる。 しかし今の時代になって、ネットはすべてが“一般化”しつつある。 ネット人口が増えるにしたがって、特徴が消え、逆に多様性というものを失って来ているようだ。あらゆるものが画一化されていくようにも感じる。 いま多様性がある、もっとも特徴的なものは、個人のブログだと思う。 私は、多様性の最小単位としてのブログがインフラとなって、これから、また新しい次の時代が始まるのだろうと思っている。今はまだ夜明け前だ。 |
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2008-05-24 Sat 22:19
“揚げ足を取る”とは“議論の中で、本質的では無い部分での用語や定義の誤り、修辞的な誤りなど、主に言葉の誤りについて、あげつらい、攻撃をすること”と考えている。
揚げ足を取っての攻撃は、攻撃する者が“誤り”は議論の目的の本質的な部分でないことを承知していないと、効果的には行えないものだ。攻撃者は本筋と関係が無いことを承知の上で攻撃をしているのだから、これは議論の目的からすれば矛盾することになる。攻撃のための攻撃、議論のための議論ということだ。 ゆえに揚げ足取りは、アンフェアで、不毛な、非建設的な行いと思っている。 相手に言葉の誤用があった場合は、受け手が自分の解釈の幅を広げることで、勝手に吸収しさえすれば良い。または攻撃するのではなく、直接確認して、ずれを調整すれば済むことだ。 実社会の会議では、あからさまに揚げ足をとることは少ないと思うが、ネット上では良く見かける。掲示板など、場所に依って居酒屋の雑談的な趣もあるところならば理解できる。しかし、他人のブログのコメント欄で、第三者同士が場所もわきまえずにこういった行いをするなどというのは、甚だみっともない事であろう。 大辞泉によれば、揚げ足を取るの定義は、 “《技を掛けようとした相手の足を取って倒すところから》人の言いまちがいや言葉じりをとらえて非難したり、からかったりすること。”、とのことだ。 |
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2008-05-23 Fri 22:32
テレビのニュースや番組で、地理的な話や、国の話し、地球環境が話題となったときなど、小学生の子供にグーグルアースを見せている。反応はというと、ゲーム的に画像を動かしたり、くるくる廻したりは楽しいようだ。ユーザーインターフェースが良くできているので、子供たちも面白がる。
しかし、子供はこれが、どれほどすごいといった実感とは無縁のようだ。どうして車や人は動かないの?、外に出て手を振ってくるとかいった感想が普通だ。率直に考えれば分からないでもないというか、当たり前かもしれない。 子供と話していると、自分が旧来からの延長でしか物事を把握出来ず、いかに枠にはめられた考え方をしているか。自由な自然な発想をしていないかというのが良く分かる。 インターネットバンクや、よく出来たECサイト、そしてネットを利用した新しいサービスなども見せて感想を聞くけれども、まあ同様な非常に率直な反応が返ってくる。子供にとっては、そんなこと出来て当たり前で自然なものが殆どのようだ。昔からのアイデアが、今になって少しばかり実用化されて、ひどく感心したり、すごいと言って喜んでいる大人や、専門家とは大違いである。 このユーザーと専門家の感覚のずれや温度差といったものが、ユーザーインターフェースやプロセスフローを考えたりする際の“障壁”や“落とし穴”となる。 テクノロジーは顧客の関心を惹くことはできても、心をつかめるものではない。これまで不可能と思われていた技術が実用化されたので、ついに実現できましたがどうでしょう?ということでは、単純に売れるものではないと思う。そもそも“ユーザー”は、不可能だなどと思っていなかったのだから。こういったものは、作る側の勝手な都合の押し付けだ。 NintendoDSに勝てないPSPや、Wiiに勝てないPS3然り。そして、いつも正しい、より良い技術が生き残というわけでもない。絵がうまければコミックが売れるわけではないし、全ページをカラーにして再版したら売れるというものでなもない。 これが“ソフト”であり、そしてコンテンツの“ビジネス”というものだ。 子供たちをもすごいと唸らせるようなものを創ってみたいと思う。 テクノロジーは問題ではないだろう。それは、きっと現在の技術で出来るものだ。 しかし、それは後姿しか見えない。普通はあとになって振り返ったときに、初めて見えるのだ。 |
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2008-05-22 Thu 10:17
ここ最近、すっと探していたカステラを見つけたかもしれない。子供時代に良く食べた、底にざらめの敷き詰められたカステラ。青い包装紙につつまれた、文明堂のカステラだ。今日、別の件でWEBを探っていたら偶然に目の前に現れた。 横濱文明堂の、加須底羅(かすていら)がそれらしい。 写真の通り、ざらめが敷き詰めらた状態で、説明文にも、 と、はっきりと書いてあるある。 ![]() そして、包装紙もこのとおり。 この包みだったような気がする。この写真では判別がつき難いのだけれども、これと同じ“浮き輪”のモチーフが書いてあったように思う。 横濱文明堂は、横浜市伊勢佐木町にあるそうだ。なかなかユニークというか、横浜的なハイカラさがあって、三笠山(どらやき)の皮だけを売っていたりする(24枚入り840円)。 また、会社名は、株式会社文明堂という、正統な趣の名称で、他の文明堂各社とは一線を画すといった感じだ。 横濱文明堂はブランドと言う事だろう。 店舗は売店も含めると、245店あるらしいけれど、WEBにも全部は明記していない。見た限りでは、横浜、神奈川の方ばかりで、23区内のものは見当たらない。明日、電話で問い合わせてみることにする。近所になければ、WEB通販で買ってみようと思っている。 しかし、子供時代、東京23区内に位置する我が家では何故に、横浜方面でしか売っていないカステラがポピュラーであったのだろう?新宿や日本橋、または銀座の文明堂の方が、ずっと身近だったはずだけれども、今となっては、もうこの謎は解けそうにもない。 |
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2008-05-21 Wed 10:13
言うまでも無い事であるけれども、顔が悪いのは、ある意味しかたがない。流行り廃りもあるので、時代が変わって、社会が変われば違った見方をされるこももあるかもしれない。しかし、これも個性であるし、いずれにしても自分でコントロールするのは困難なことだろう。
それに比べれば、顔つきが悪い、というのは自分次第でどうにでもなる。これはフィジカルなものでなく、その人の心や、姿勢を表すものだ。それが、顔つきの良さ、悪さに出る。この場合の“顔”は人に対する、自分のディスプレイの仕方だ。すべては自分の責任ということになる。 個体を見分けるための“顔”と、人を見分けるための“顔”の違い。 人は、この違いというものを、ちゃんと分っている。 これは人間にとってはプリミティブなもので、生まれながらに、無意識に判断している。小さな子供でも、顔の良し悪しは分らなくとも、顔つきの良し悪しの判断はつくものだ。 顔のよろしくない人達。 イケメン度において劣ろうとも、悲観することはない。モテ度で決め手となるのは、結局は“顔つき”のほうだ。 自信を持って良い顔つきになろう。 |
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2008-05-20 Tue 10:08
仕事を行なう際は、その作業環境を整備する。
これはだれでもすることと思う。仕事に取り掛かる前に、机の周りを整理したり、必要なものを手許に揃えておくなどもそうだし、コーヒーを入れておくなども含まれる。また、文筆家がホテルに缶詰になって書くといった、文字通りの環境を整える場合もある。 環境が適切に整えば、作業効率、生産性も上がる。普段と同じ環境であれば、新たに慣れを要するものもなく、工程上で仕事の遂行にストレスとなるものは無いだろう。環境を整えることによって、純粋に創造作業や、アウトプットに集中できるようになるということだ。 仕事に使う道具についても同様となる。先ほどの文筆家の場合では、手になじんだ万年筆を分解清掃して、インクを満たすといったことであったり、満寿屋の原稿用紙を準備したりだろう。板前の、研ぎの入った包丁、大工の棟梁のノコギリ、カンナやノミ、野球選手のグラブやバット、水泳選手の競泳用水着などもそうだ。 これらの道具については、プロとしてのこだわりをもって水準以上の物を用意し、手入れをして最高のコンディションに保っておくというのも、仕事ための環境整備ということになる。 ITの環境整備 さて、ITの世界で言えば、“コンピューターにOSをセットアップして、ワープロなどの必要なアプリケーションをインストールする”、が、この環境整備の基本の部分にあたると思う。ただし、ここまででは、まだ道具を選んで買い揃えた、に等しいレベルだ。その後の、その環境を機能させるための環境の設定、つまり具体的には、ネットワーク接続設定、メールサーバー、メールクライアント、ファイルサーバーのアクセス権設定、プリンター、PDA、携帯電話との連携などの設定が終わって、やっと実際に道具が使える状態になる。 そして本当の個人的な環境整備はここからだ。アプリケーション各種の“オプション”設定や、普段の自分の使い方へのカスタマイズや、オプション設定を一つずつ行ってゆく。 これらをゼロからセットアップしたら、完了するまで丸1日かかると思う。しかし自分の使いやすいように、最適化してセットアップすれば、日々の作業の効率や生産性の向上には大きな効果があるはずだ。 特に、体の一部として使い込むような、エディター、ワープロ、スプレッドシートの類については、フォントカラー、バックグラウンドカラーから、ショートカットキーまでを徹底的にカスタマイズして、究極の効率を求める場合もある。いい道具を選び、その道具の性能を最高に引き出すために、徹底的に使い込んでゆくという考え方だ。 こういった設定をする人も多いと思う。私も同じ類の人間で、道具好き、機械好き、カスタマイズ好き、そして、分解、整備好きだ。子供のころには、おもちゃはまず最初に分解した。機械はその性能を最大限に引き出されるべきで、そうされることが機械にとっても本望であろうと信じている。もちろん、マニュアルは隅々まで見るし、オプションメニューは、自分にとって一番好きなメニュー項目である。 もう一つの別の考え方 さて、しかし、自分の中では、いつでも別の考えにも付きまとわれていた。 それは、道具に頼ったり、環境に依存しているうちは本物ではないのではないか、ということだ。 つまりは、どんなに技巧に長けた、CGソフトウェア使いにしても、最後は鉛筆一本と紙一枚で勝負が出来なければ、本物のクリエータとは言えないのではないか。 ITを仕事とする人ほど、ITに依存した傾向でいて良いのだろうか。IT使いがITに、あやつられてしまっていないだろうか。自分の使い慣れたエディターが無いとコーディングが出来ないだの、自分のPCで無いと仕事が出来ないなどというのは、結局は半人前で、プロとは言えないのではないか。 どんな環境で、どんな道具をつかって仕事をしたとしても、一定の水準以上の結果が出せてこそプロであろう。プロは言い訳はしない。 シンプルライフの薦め そんな考えで、私はある時期から、過剰な環境設定やカスタマイズはやめることにした。 現在、私が普通の仕事に使う環境は殆どデフォルト設定で、個別の環境設定は最小限にしている。 カスタマイズは、WEBブラウザーのセキュリティ設定。バックアップファイル作成場所、気に入った壁紙1枚、tempファイル、logファイルなどのvalファイルの場所指定ぐらいで、設定に要する時間は5分程度だ。 特別に自前でインストールするアプリケーションにしても、エディターと、昔から使っている商売道具のアイデアプロセッサの2つだけで、あとは、“あり物”をそのまま使う。 こうすると初期化、再インストールも何時でも躊躇せずに出来る。また、どこのPC、誰のPCでも仕事が出来るようになる。とても気が楽だ。環境を自分に合わせるのでなく、自分が環境に適応出来るように、進化した、ということだ。 どんな道具を持っているか、使ったかで仕事の価値が決まるわけではない、大切なのは、それで何をしたか、何を生み出したかだ。カスタマイズによる生産性向上にしても、その殆どは慣れと、好みの問題とも考えられる。 この、シンプルライフを皆さんにもお薦めしたい。 |
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2008-05-19 Mon 00:12
このブログのカテゴリーにある、“ソフトな技術”とは、人が創造性的で豊かな生活を送るための、方法、考え方や理論、そしてそれをサポートする道具などのことを総称する言葉だ。このブログを始めるときに、伝えたい事柄を一つに括って表す言葉として考えてみた。
梅棹 忠夫教授の「知的生産の技術」、山根 一眞氏の「仕事術」、各種の「Tips」そして、最近では「ライフハック」と呼ばれるものにも通じるものでもあるけれど、私にとって、知的好奇心を満たし、創造性を触発するものでもある。 ブログのサブタイトルにある通り、“創造的でビューティフルな人生”(Creative and Beautiful Life)のための、“思考”、“物”、“心”のコレクションとなる。 これらはあくまでも技術で、テクニック的なものであるとの認識で、名称には、日本語の“技術”という言葉を使いたかった。しかし“ソフトの技術”としたのでは、コンピュータソフトの開発技術のようであったので、北原 保雄氏の書籍のタイトル、「問題な日本語」が持つ、絶妙な不安定感とテンションにも魅了されて、「ソフトな技術」させて頂いた。 |
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2008-05-18 Sun 14:37
ワーク・ライフ・バランスという言葉が使われる際、その意味としては、人間性を欠くような過剰な労働を見直して、人としての暮らしとのバランスを考えようといったものが一般的であろう。
総理府ではワーク・ライフ・バランスを「仕事と生活の調和」という日本語にして2008年をワーク・ライフ・バランス元年としているが、こちらの方は、男女共同参画社会や少子化対策などの政策も含んだ広義のものとなっている。 この言葉、もともとは1970年代のイギリスで始まり、フレーズとして使われるようになったのは1980年代のアメリカらしい。Wikipedia(English)には、これは“仕事の世界と、家庭生活の関係”を表したもので、work-life balanceというフレーズは、多くの人々が選択する不健康な生活の問題に対処するために作られたとの説明がある。 日本では非正社員の厳しい生活状況だけでなく、企業人の長時間労働、過労死の問題等を捉え直そうとのことで、最近になってこの言葉が急速に流通し始めた。 バランスの取り合いか、全体の質の向上か 私は、英国、米国生まれのコンセプトについては、よく分かるのだけれども、いま日本で言われているワーク・ライフ・バランスについては、その言われ方と、取り扱い方に、少々違和感おぼえることが多い。 日本の社会で言われているワーク・ライフ・バランスとは、人生という決まった大きさのものがあって、それを間仕切りで、“ワーク”と“ライフ”分けるといった感覚では無いかと思う。 ビジネス的に言うならば、決まった大きさのパイから、シェアを取り合うといった感覚だ。 しかし、本来はシェアの取り合いなどではなくて、全体を一つのものと捉えて、仕事も生活も質を向上させるというのが目的であり、目指すところであるでは無いだろうか。 この、間仕切りの位置決めとバランス設定として見るか、全体を捉えての質の向上として見るかの違いは、立場によって発生する違いであると思う。企業側、行政側からの視点と、個人の視点との違いによるものなのであろう。 シェアということで話すならば、一企業からの視点では、全体に対して、どの割合までシェアを取れるか、またはどの程度まで競合に譲るかとなるだろう。 これに対して、個人の視点からでは、ワークもライフも同様に自分のものであって、初めからシェアのすべてを所有していることになる。選択するのは自分だ。 ワーク・ライフ・バランスを行政、企業が主体に行う限りは、「仕事と生活の調和」として、やはり前者の感覚で進められると思う。しかし、人を主体に考えた場合、どちらを取るかや、ワークとライフの取り合いのバランスといった視点よりも、全体を一つに見た、仕事も個人も含めた、生活といった視点から見ていったほうが、より自然であろう。 1日24時間、または人生を仕事と生活に分けて、仕事中は“個人を捨てた労働者”、生活では“勤労から離れた個人”と分けてしまうのは、はなはだ不健全であると思う。これは、そもそもが個人の幸福のためのものであるのだから。 ソフトな技術的に、個人の視点から では、自分主体で行うには実際にどうすれば良いか。 一日の時間は限られているから、全体のパイの大きさは変わらない。であれば質を高める、ということになる。 この質の向上というのは、ブレークダウンしてゆくと、個人の生産性を向上させるということで、実現に近づくことが出来る。 生産性の向上には、効果的な時間の使い方、時間管理と優先順位設定が基本になるが、それを行うためには、まず自分の価値観をといったものをしっかりと考えて、認識する必要がある。 自分は何に価値を見出すのか、なにが大切であるのかを、仕事、家族、社会、自分自身について改めて考え、見直して定義する。 「自分は何が幸せか」、「幸福とは自分にとってなんであるか」、その定義さえしっかりと出来たのであれば、残りは単なる“技術”の問題となって解決を図ることも出来るようになる。 |
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2008-05-18 Sun 10:12
今度は、日本橋文明堂のカステラを試してみた。
この間よりまたちょっと、自分のイメージするものからは離れたと思う。極端に言うと少しパンケーキ的な感じがする。 今のところは、新宿文明堂に福砂屋のざらめの要素を加えたものが、自分の欲しいもののイメージに近いように思える。そして、パンケーキ傾向でない方が好みなのもはっきりしたので、高級品も試したほうが良いようだ。 これまでは、店ごとの特徴を知るつもりもあって、各店のラインアップの一番安いものを選んで試してきた。高級品のカテゴリーでも、特徴がはっきりと出るだろうか。 高級バージョンでは、手始めに新宿文明堂の“特選五三カステラ”か、銀座文明堂の人間国宝、“特選五三カステラ”、を試してみようと思う。その次には限定生産の“天下文明極上カステラ”を買いに行ってみよう。 まあ、月一本ベースではあるけれど、カステラ探求はもう少し続くかな。子供たちも喜んでいることだし。 |
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2008-05-17 Sat 09:21
個人用にブラザーの、レーザープリンター、コピー、スキャナーの複合機、DCP-7010を買った。
最近は、電化製品やこの手のものもAmazonで買うことが多くなっているのだけれども、 例に漏れずこのプリンターもアマゾンで購入した。購入価格19,538円にアマゾンポイントが1,953pt付くので、実質的には17,585円ということになる。定価は一応52,500円だ。朝、出掛けに“お急ぎ便”で注文をしたら、夜帰宅したときには届いていた。 ロープロフィールで、書斎の机の隣に置くのにはジャストサイズだった。音の大きさを心配してたのだけれども、思っていたよりはずっと静かで、午前2時の連続使用でも問題はない。 スキャナーがCIS方式のために、被写界震度はかなり浅いけれど、高校生が土日にアルバイトすれば買えてしまう値段で、これだけのものが手に入れば、十分に満足。 でも、もしCCDだったら5,000円乗せてもよいかな。 スキャナーとプリンターで、遊んでいる。 |
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2008-05-16 Fri 10:07
プロジェクトを企画するときに、アタリで数字を入れて作ることがあると思う。売り上目標やコストであったり、人員数だったり、内容は様々であるけれど、とりあえず何か数字を入れておかないと、先に進められないといった場合にだ。
この大した根拠も無く適当に入れた数字が、後に一人歩きを始めて、最後には絶対の権威を持つまで成長してしまう。そして、それに自分が縛られるといった経験は、企画や提案などの仕事をする人であれば、誰でも持っているだろう。 数字の種類は色々であるけれども、いずれもが思いつきの勘でいれた数字だ。元々自分で入れたものだから、その素性や、いい加減さの度合いは良く知っている。だからこそ、そんな数字に追われて、縛られるのは理不尽で、不本意極まりないのだけれども、そう思ったときには、すでに自分一人では太刀打ち出来ない状況になっているものだ。 さて、自分で作らなかった数字についてはどうだろうか。 これが絶対ライン、守らなければと思っているものには、本当にその価値と根拠が有るのだろうか。どこかの誰かが、同じように思いつきで入れたものではないのか? どんな数字や条件についても、疑って掛かって、定期的にたな卸しと再評価を行うことは大切なことだ。そうすることによって、予測や計画の健全性が保てる。そして、実際に大いなる無駄の節約となることも多いし、新しい展開が見えてくることもある。 あなたが、大変な思いをして守ろうとしているものは、イワシの頭かもしれない。 信じればご利益もあるだろうが、検討すれば、他にもっと良い物が有るかもしれないのだ。 |
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2008-05-15 Thu 10:10
身の回りで、こんな会話が交わされたりする。
> 調子はどうだ? > > はい、予定通りの遅れで進行しています。コストのオーバーも予定の範囲内です。 > > それは良かった。その調子でがんばってくれたまえ。 この会話に違和感を持たないといった人もいると思う。 しかし、一般的にはこれは変であろう。やはりおかしな話だ。 これが普通の会話という感覚は、すでにずれている。 目を覚まして、正常なところまで戻ろう。 |
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2008-05-14 Wed 20:02
Rien.
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2008-05-14 Wed 10:15
コミットメントとは約束の意味であるけれども、欧米での“コミットメント”と“約束”は、ニュアンスにおいてかなり異なっている。“やくそく”は普通の約束だ。それに比べると、“コミットメント”は絶対に破ってはいけない約束になる。
コミットしたものを守れなかった場合には、有形、無形の大きな代償を支払わなければならない。コミットメントは日本語では、“言質(げんち)を与える”という言葉になるが、これは“武士に二言は無い”と言ったときの武士の約束と考えてもらえば分りやすいかもしれない。 武士は約束をして守れなかった場合は人の命に関わる。なので、二言があった場合、名誉と引き換えに支払う代償は自分の命だ。武士は軽々しく約束(コミット)はしなかった。そうでなければ、命が幾つあっても足りなかっただろう。 コミットするということは、そういった責任を求められるということだ。 |
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2008-05-13 Tue 10:16
この言葉はIT業界ではとてもよく知られていて、一般社会のことわざで言ったなら“時は金なり”ぐらいに古典的なものだと思う。
“バグ”とはコンピュータープログラムの不具合のことであるけれど、早い話が、プログラマーの誰かが人為的にミスったということだ。そのミス一つで、システムはとんでもないことになって、関係者一同は修羅場を迎えることになる。 この言葉は、そんな時でも、“ミスをしたプログラマーを責めてはならない”、ホトケの心をもって“バグそのものを憎むべし”、というありがたい言葉だ。 実際にも、そんな修羅場を迎えてから、誰のミスだ、誰が悪いの言っても始まらない。関係者全員一丸となって、とりあえず問題の解決を図るのが第一だ。 こんな時、良いリーダーに率いられたチームは、異様な一体感と、高揚感に包まれ、普段では考えられないような力を出したりする。 “よし、俺たちで、地球を救ってやる”といった乗りなのだ。 ある意味、苦しくとも物を作り出すという、この仕事の醍醐味を感じられる時でもある。 「バグを憎んで、人を憎まず」 これは、IT業界の名言の一つだろう。 |
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2008-05-12 Mon 09:51
世の中には、規則、ルールの類が多い。
そこで“ルールについてのルール三原則”を提示したい。 1.ルールには、意味のあるルールと、意味の無いルールの、2種類がある。 2.意味の無いルールは守らなければいけない。 3.意味のあるルールは守らなくても良い。 意味の無いルールは、ルールを守ることそのものが目的になっている。なので、これは必ず守らなければならない。目的を達するためにはそれを守るしか方法はない。 意味の有るルールには、なにか目的とするものが別に有るということだ。その目的を達することが出来るのならば、ルールを守る、守らない自体には本質的な意味は無い。 意味の無いルールは、無視するにしても大きな抵抗にあう。ルールを守らせようとする側にしても、とくに根拠はないので、守らなくて良い場合についての基準も示せないし、ルールを変更したり、廃止したりすることも出来ない。 意味の有るルールについては、目的に対しての結果の方が重視される。そのため、こちらは例外についての基準も示すことが出来るし、状況に合わなくなってきた時には、変更や廃止なども可能だ。 前者には、“しきたり”、“慣習”、“慣わし”、“伝統”、“不文律”などがある。 後者については、“法律”、“就業規則”、“手順書”などがあるだろう。 困ったことに、世の中には意味の有るルールについても、意味の無いルールのごときの扱いをする人がいる。そして状況が変化しても改正することもしない。そういった人にかかると、どんなルールも最後には本来の目的を失ってしまう。そして、新しい意味の無いルールが、また一つ生まれることになる。 |
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2008-05-11 Sun 21:40
宮本武蔵は六十回以上の勝負をして、すべてに勝利したと言っている。60連勝、無敗である。
強かったのだと思う。 しかし、この連勝記録が史実だとしても、武蔵が日本で一番強く、そのタイトルを60回以上防衛したということではない。それとはまた別のことだ。宮本武蔵は負けることがなかった、つまりは、負ける試合をしなかった、別の言い方で言えば、勝てる勝負しかしなかった。 これも卑怯とかそういったことではない。自分の実力を知り、相手の力量を読み、状況を判断して、勝てると思った試合をしたのだ。戦国時代であれば、どんな武将であったとしても、勝てるときに、勝てる方法でしか、“いくさ”をしようとしない。自国と一族の命を懸けて戦う以上、これは当たり前である。兵法家である武蔵にとっても当然のことだったろう。 さて、現代の企業人、とくにIT関係の仕事の人についてだ。 ちょっと仕事を安請け合いしすぎなのではないか? 勝てる見込みのない勝負を軽々しくコミットしていないだろうか。そもそもが無理な条件で仕事に挑み、死ぬほどの残業をして、それでいて利益は殆どない状況になっていないだろうか? これは武士の果し合いであれば、とっくに斬られて死にかけている状況だ。 どこぞに、“これまで命を懸けたプロジェクトを行うこと六十余り。すべて予算内、納期内で完遂した。”、と言い切れる業界人は居ないものか。 |


